読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

手鳥足鳥

興味を持った事を、手さぐりに、テトリアシトリ、書きます。

『逃げ恥』の呪いは終わらない『カルテット』の楽しみ方

カルテット

 

ヤバいドラマが始まってしまった。気がする。

飽きっぽい私が久々に見てしまった2016年の年末のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ

f:id:pisco:20170129233926j:plain


レッテルや思い込みの呪縛に悩まされる登場人物全員が愛おしく、そして全員が漏れなく幸せになっていった大団円なドラマ模様に、毎回一喜一憂し、最終回が来てしまうことへの絶望感とわくわく感を日本中で共有し、紅白での「恋」で有終の美を迎えた久々に非の打ち所がないドラマであったと思う。

もうしばらくドラマは見ないだろうと思っていたけど、
「逃げ恥」の脚本家の方が、次回の枠のドラマを激推して、なんだか気になる。


気になって1話を見てみたら、一気に心を掴まれました。

「逃げ恥」は豪華な前菜だったのではないだろうかと思わせた位の、その未知数な魅力に、とんでもないドラマが始まる予感が、ざわざわとSNS界隈から広がっていきました。

「逃げ恥」では、

「言葉の呪縛から抜け出す事」「自分に呪いをかけない事」

がテーマだったけれど、

「カルテット」のエンディングでは、

「手放してみたい この両手塞いだ知識 どんなに軽いと感じるだろうか
言葉の鎧も呪いも一切合切 脱いで剥いでもう一度僕らが出会えたら」

と夢という名前の「呪い」を歌い上げている。この面白さというか宿命感というか。

同時期に放送される「タラレバ娘」では百合ちゃんが陥っていた女性が自分にかけてしまう呪いを再び解き放つような内容だが、

「カルテット」は男女年齢問わない、人間自体の業を見せつけられるような「呪い」を
見せつけれれる様なドラマである。(多分...)

f:id:pisco:20170129235600j:plain

 

このドラマにはモノローグ(心情)が一切挟まれない。

登場人物が誰なのか、どこから来たのか、主人公は誰なのか、一切語らせないまま、
脇役ですら、自分の気持ちは語りたがらない。
その心情は無言の中の表情や、眼差しを汲み取るしかない。
そして本音を言う時は、突然語りだされたり、何気ない伏線を回収しながら行われる。
これはSNSやゲームをしながら片手間で見れるものではない。

これでもついていけると、視聴者を信頼し、脚本家と役者とTBSの共犯関係により、このドラマの魅力は築かれています。

 こんなドラマ、めったに見れるものじゃないです。リアルタイムで見れることのありがたさをかみしめながら見ていきたいです。


こんな作品を楽しむ為には、考察を繰り返したり、感想を共有することが大事だと思います。後になって全く予想が外れていても、それはそれで。

というわけで、このブログで出来る限り、このドラマについて考察して見たいと思います。
このようなレビューは初めてなので、読見苦しい面もありますが、
よろしければどうぞお付き合いください。